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こんにちは!
心理学研究家の長谷川雄太こと
「ぼんた」です。
心理学を研究し、
日々、実践しながら
幸せに生活しています。
今でこそ、
それなりに普通の生活が
できていますが、
以前、急性骨髄性白血病を患い、
命の危機に瀕したことがあります。
命に関わるほどの病気ですから、
治療も一筋縄では
いきませんでした。
この記事では
その闘病生活の中でも
最も身体的に辛かった1ヵ月間
お話をしています。
もし興味がありましたら、
最後までお付き合い頂けますと
幸いです。



骨髄移植の準備治療

私が白血病を発症したのは、
2013年12月30日でした。
4ヶ月ほどの抗がん剤治療をした後、
いったん退院をします。
その後、
運よく骨髄移植のドナーさん
見つかったので、
再度に入院となりました。
2014年8月から検査入院をして、
移植のための本格的治療が
はじまったのは
同年の9月下旬からでした。
骨髄移植の治療は非常に強力です。
完治の可能性がグンっとあがります!
しかしそれ故に、
副作用もそれ相応のものなります。
ここからの約1ヵ月間、
私は想像以上の苦痛に
悩まされることになります。。。
まず、最初に行われた治療が
超多量の『抗がん剤投与』と
『全身の放射線治療』です。
骨髄を移植するためには、
自分の悪い骨髄を
限界まで消滅させなければ
いけませんでした。
そのために必要となってくるのが
抗がん剤と放射線治療なのです。
実は抗がん剤の量や
放射線治療の回数は
年齢によってもかわってきます。
当時、私の年齢は28歳。
治療をするには十分な年齢です。
そのため、
自分の身長と体重で使える
「最大量」の抗がん剤と
「最大回数」の放射線治療を
受けることになりました。
これはとても、ありがたいことです!
だって、強い治療を
受けられるということは、
それだけ再発率を
下げられるわけですからね。
「完治」により一層、
近づくことができるのです。
ただ、やはり。。。
その分、副作用が凄まじいのです(>_<)
まずは発熱や嘔吐、
下痢といった症状がでてきます。
たとえ嘔吐まではいかなくても
胃が苦しくて、
吐き気が常にある感じです。
こうやって
言葉に表すのは簡単なのですが、
これが想像を遥かに上回るほどの
強烈なもので、
あんまりに辛くて、
常に顔を歪めながら呼吸を
するほどでした。
(副作用の強弱については
個人差があるとされています)
熱があるせいなのか、
倦怠感もかなり強かったです。
でも、下痢が酷いので、
何度もトイレに行く必要があります。
そのたびに、体に力を入れて
歯を食いしばながら、
ベッドから起き上あがります。
やっと起き上がっても、
今度は点滴をぶら下げながら、
トイレまで歩かなければいけません。
これが当時、私のいた病室です。
人生で最もつらい1ヵ月を体験した時の話を説明するために使用した画像
(私の視点からの撮った写真です)
トイレは洗面台の少し奥にあります。
たったこれだけの距離にもかかわらず、
必死になって、
片目をつぶり、息を切らしながら
行くような状態なのです。
そんな状態になっても、
抗がん剤は投与し続けなければ
なりません。
全身の放射線治療も
さらに追い打ちを
かけるように続けます。
ボロボロの状態に
さらに鞭打つ感じです。
「もう無理!!」って思っていても
さらに苦しみが増すこと
続けなければいけないのです。
そりゃ、病気を治すためですから、
仕方のないことなのは、
わかっています。
でも、それにしたってつらい。。。
しかも、
それがすぐに終わるならまだしも、
まだここから「何日も続く」わけです!
「寝てれば治る」とは
わけが違います。
情けない話ですが、
治療のためであることは
わかっていても、
苦痛から逃げたくて
しかたありませんでした。。。
ちなみに放射線治療をする時は
専用の放射線治療室に
行く必要があります。
点滴をつけたまま車椅子に乗り、
看護師さんに押してもらいながら
治療室に向かいます。
(自分で行く力などありませんからね)
治療室は1階です。
大きな病院ですから、1階にいくと、
外来の患者さんがたくさんいます。
その人達の前を
点滴に繋がれ、
今にも死にそうな顔して
車椅子を押してもらっている
私が通るわけです。
そうなると、中には
「うわぁ~。。。」
みたいな顔を
する人もいるんですよね(汗)
これは切ないですよ。
温かい目線ではないんですからね。
いわゆる
ちょっと「ひいた」感じの目線です。
その人達のそんな表情を見ると、
なんというか、まるで
醜態をさらしているような
気がしてくるんですよね。
つまり、この時の私は
身体的苦しさのみならず、
精神的苦痛にも
耐えなければいけなかったのです。
その人達の前を通るのは
たった100mほどです。
しかし、その冷たい目線と
体の苦痛のダブルパンチは
そうとうなものでした。
苦しいのに、
痛いのに、
まだ心を叩かれる。。。
そんなことを
思わずにはいられない
長い100mでした。
まぁ、でも、
いくら嫌だど思っても、
結局は病気を治すためです。
どんなに体が辛くとも、
どんなにみすぼらしくなろうとも、
我慢し続けるしかありません。
まさか、看護師さんや先生に
「放射線治療を受けたくありません」
なんてわがままを言う
わけにもいきませんからね。
歯をくいしばり、下を向きながらも
黙って耐えました。
そんな状況が続いて約1週間。
ようやく
全ての放射線治療と
抗がん剤治療が完了します。
完了してから数日たつと、
吐き気や下痢は
徐々におさまっていきました。
しかし、
骨髄移植はそんなにあまくありません!
吐き気と下痢がおさまり始めると、
次の試練が待っていました。


移植直前の状態

骨髄移植予定日の数日前、
私は病室を無菌室(*)に移していました。

*読んで字の通りですが、
ホコリや菌の数がすごく
少なくなっている部屋です。
抗がん剤と放射線治療の影響で
免疫力がほとんどないので、
このような空間に居る必要があります。

そして、そのスペースから
出ることはできません。

吐き気や下痢は軽減されたとはいえ、
微熱は常にありましたし、
倦怠感も強く、力は出ません。
それに、治療の影響なのか
体が落ち着かないのです。
すごく表現が難しいのですが、
「居場所がない」
といった感覚ですね。
楽な姿勢とか
格好がわからなくて、
体を横にしても
いまいち、しっくりきません。
仕方なく体を起こしますが、
倦怠感があるので、
体を起こしてもやはり辛い。。。
これはこれで
かなりのストレスでした。
どこにいても居心地が悪いのです。
ここまでのお話でなんとなく
予想ができた人もいるかもしれませんが、
骨髄移植という治療は
「苦痛がおさまっては、次の苦痛がくる」
といった感じになっています。
楽な時がないのです。

この

「これが終わっても
 次の苦しみが待っている」
といった感覚は、
とてつもないものがあります。
あなたも
「明日すごく嫌なことがある」と
わかってしまうと、
急にテンションが
下がってしまうと思います。
私の場合、
それを毎日強く感じるわけです。
「毎日」ですよ。。。
1日や2日じゃ終わらないのです。
しかも、身体的な苦痛として、
24時間常に、付きまとっているわけです。
最初の方でも言いましたが、
骨髄移植を受けられるなんて
ありがたい話です。
しかし、このとてつもない
苦痛の連鎖を前にしては、
なすすべもなく、
ただただ毎日、顔を
歪め続けるしかありませんでした。
それでも、なんとか
「元気になるためだ」
「治すためだ」と自分に言い聞かせ、
必死に耐えました。
そして、
ついに骨髄移植の日がやってきます。

骨髄移植からの状態

骨髄移植を受けたのは、
9月30日の深夜のことでした。
「移植」なんて聞くと、
大手術を想像する人も
いるかもしれませんが、
骨髄移植の場合、
そんなことはありません。
骨髄は一見すると
普通の血液のようになっていて、
それを輸血と同じように
流すだけでいいのです。
(とはいっても、拒絶反応みたいなものが
出る可能性もあるので
機械を使って、すこーーしずつ流します)
体に流し込んでいる間、
先生や看護師さんが
こまめに巡視にきてくれます。
実は、今回の治療の中で、
一番身体がマシだったと思うのが、
意外にも、この骨髄移植を
受けている時でした。
吐き気や下痢は
ほぼおさまっていましたし、
「落ち着かない」といった感覚も
だいぶ軽減されていたからです。
一晩かけてゆっくり、骨髄を流し入れ、
朝には問題なく完了していました。
でも、マシな状態だったのは、
この一時くらいでした(汗)
移植後、数日が経過すると
まず、食べ物が
全く食べられなくなりました。
そして、話もできなくなります。
それどころか
口を一切開けられなくなるのです(>_<)
なぜかというと、口の中全て
口内炎のようになるからです。
あたなも経験があると思いますが、
口内炎ってけっこう痛いです。
食べものが当たったり、
刺激を与えたりすれば激痛が走ります。
それが口の中全てに
広がっている状態なのです(+_+)
そう。。。
口の中「全て」なんですよ。。。(;´Д`)
ちょっと口を動かすだけで
激痛が走ります!
(正確には、何もしなくても十分痛いのですが)
そのたびに顔を歪めますが、
声を出すことはかないません。
だって、声をだしたら
もっと痛いんですからね(-_-;)
好きな食べ物はおろか、
水を飲むことすらできない。
話すこともできず、常に痛い。。。
これが数週間も続くのです。
気を紛らわせるために
TVをつけても、
そこには美味しい食べ物や
飲み物がたくさん映ります。
TVだけでなく、
あらゆるメディアで
食べ物や飲み物についての
宣伝や番組を映しています。
こうなると
もう気を紛らわせるどころの
話ではありません。
目に映ってきたら
嫌でも意識してしまいますからね。
つまり、この時の私は
気を紛らわせることすら
かなわないのです。
激痛と正面から
向き合わなければ
いけませんでした。
さらに、
私を悩ませたのは『発熱』でした。
「いや、それならずっとあったじゃん」
なんて思いました?
たしかに
今までもお話してきた通り
発熱はありました。
でも、これまでの発熱は
その日によって調子が違うので、
微熱の日もありましたし、
熱があるわりには、
体がマシな日もありました。
しかし、今回は全く違いました!
約12時間のサイクルで、
38度以上の高熱が出るのです。
つまり1日に2回、
高熱に苦しめられます。
熱が出ると薬でいったんは
下げることもできますが、
またすぐに上がり始めます。
そして、
体が尋常じゃないくらい熱くなります。
これがかなり苦しい!
たかが発熱といえば、
それまでなのですが、
体感温度がとにかく高いのです!
まるで自分のだけ
暑苦しい空間にずっと
閉じ込められているような感覚です。
(実際、真夜中にそんな夢を見て、
息を切らしながら目覚めた経験もあります汗)
本当に体が熱くて苦しいので
背中にアイスノンを入れ、
枕にもアイスノンを敷き、
さらに、手足の火照りも酷すぎたので、
ここにもアイスノンを
置いていました(;^ω^)
つまり、アイスノンに
囲まれていないと、
私は生活できないわけです(苦笑)
この時は私は、
機械を通して、点滴が何本も
つながっている状態です。
それに加えて
アイスノンだらけです(汗)
身動きが取りにくい!
毎日、口も痛い!
毎日毎日、熱も苦しい、
もう限界!!!
。。。ってところで
さらに追い打ちを
けてきたいのが、
膝裏の関節の「コリ」でした。
強烈な肩こりが
そのまま膝裏にきた感じです。
強烈なので、
もはや「コリ」というより
痛みに近いです。
看護師さんにそれを伝えると、
嫌な顔一つせず、もんでくれました。
本当にありがたかったです(T_T)
ただ、ちょっとたつと
すぐにまた、こってくるのです。
膝裏なので、自分でやっても
うまくいきません。
かといって、
看護師さんに何度も頼むのは悪いので
これも耐えるしかありませんでした。
こんな状態を
毎日毎日繰り返すのです。。。
この時、あなたなら
どんな気持ちになるでしょうか?
私は、
こんなことを考えてしまいました。
今日が終わっても
また明日、この状態を
耐えなければいけない。
次の日も、その次の日も。。。

だったら、もうやめたい。

病気を治すためなのは
わかっています。
でも、どうしても
「今この瞬間」が辛いのです。
そんなことを
考えながら外を眺めていたら、
看護師さんが巡視にきました。
看護師さんはいつものように
「どう?大丈夫?」と聞いてきます。
いつもの私なら、
それなりの表情を作って
うなずいていたと思います。
(口が開けられないので、うなずくしかありません)
でも、その日は
うなずくかわりに
涙が出てきてしまいました。
いい年した大人が、
親類でもない女性の前で
涙を流すのは
いかがなものかと思いますが、
どうにもこうにも
止めることができないのです。
治療には前向きなはずですでした。
この我慢の先に、健康的な生活が
待っていることもわかっています。
しかし、
あまりにも「今、この時」が
辛すぎるのです。
看護師さんは
そんなを私の気持ち察してか、
「ちょっと辛くなっちゃったね」
と寄り添ってくれました。
そしたら、また
涙が出てきてしました。
私は恥ずかしさも、
プライドも見栄も、全て捨てて、
しばらく、涙を流し続けました。。。
でもそのお陰で、
涙と一緒に心に溜まっていたものも
流れ出たようで、
少しスッキリすることができました。
この無菌室での生活は
3~4週間ほど続きましたが
看護師さんや先生、
家族や仲間のおかげで、
どうにかこうにか
乗り切ることができました。
これほどの身体的苦痛を、
しかも連続で長期間にわたって
強いられたのは、
後にも先にも
この1ヵ月間だけだと思います。

おわりに

いかがだったでしょうか?
まぁかなり壮絶であったのは
ご理解いただけたかと思います。
当然のごとく、
骨髄を提供してくれた
ドナーさんをはじめ、
私を支えてくれた
全ての人たちに対して
感謝の気持ちは絶えません。
彼らの誰か一人でも欠けていたら、
今、私がこうしていることは
なかったと思います。
言葉に表すことが
できないほどの
大きな、大きな感謝です!
この場をかりて、
本当にありがとうございました!!
(*^_^*)
そして、この経験を通して
再認識できたのが
世の中は、
感謝すべきことで
溢れている
ということです。
私達は、当たり前のように
食べたり、飲んだりしていますが、
これって、本当は
とてもありがたいことです。
そんな普通の体があることが
ありがたいことです。
ひいては、
この命があること自体が
感謝すべきことであり
そして、奇跡だと思います。
人とのつながり、物、知恵、
全てが奇跡の集合体です。
今、ある生活の全ては、
奇跡の連続
できているのです。
そんな思いを噛みしめ、
あらゆるものに感謝をしながら、
私は今を生きていきたいと思います。

PS:ちなみに、白血病体験の全体を
  知りたい方がいらっしゃいましたら
  こちらのサイトに記載してありますので、
  興味があれば覗いてみてください☆
白血病闘病記シリーズまとめ




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“人生で最も辛い体験!命を繋げるために耐え続けた1ヵ月!” への2件のフィードバック

    1. おかげさまで病気の再発もなく生活できています。
      体力の低下はありますが
      特に生活に支障はありません。
      この経験を、今後の人生に
      活かしていきたいですね(^_^)

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