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こんにちは!
私は心理学研究家の
『ぼんた』といいます。
日々、あらゆる書籍に目を通し、
心理学を研究している者です。
この記事では、
昨今、話題になっている
「嫌われる勇気」について、
心理学研究家の私が「平等」な目線を
持って感想を述べています。
平等というだけあって
私はフロイト派でも、
アドラー派でもありません。
あくまで中立の立場で
感想を述べさせて頂きます。
ちなみに、この記事は
嫌われる勇気の内容を
「ある程度把握している人」
に向けて書かれています。
もし、本書の内容や特徴が
全くわからないようであれば、
まずはこちらのシリーズから、
目を通してみることをおススメします。
嫌われる勇気の内容・前編!アドラー心理学の特徴が5分でわかる!
それでは、さっそく本題へ
いってみたいと思います。
このシリーズを読み終わった時、
あなたは新しい視点と世界を
発見することになるかもしれませんよ☆
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嫌わる勇気に対する私の見解

一言で言うと。。。
『基本的にすごく理想的で素晴らしい』
そんな感想を持ちました(^^)

特にアドラーの言葉にあるように

『大切なのは
 何が与えられているかではなく、
 与えられているものを
 どう使うかである』

(出典:嫌われる勇気 出版:ダイヤモンド社 
 著:岸見一郎 古賀史健)

という考え方はすごく大事だと思います。
過去に一切とらわれず、
人生を前向きに考える姿勢
本当に素晴らしいですね(*^^*)
ただ。。。
アドラー心理学を
ある程度理解できたとしても、
それを実践するとなると、
正直。。。
かなり難しい!!
とても厳しいのです(>_<)

実際、本文中の哲人の
台詞にこんなものがあります。

アドラー心理学を本当に理解して、
生き方まで変わるようになるには、
「それまで生きてきた年数の半分」
が必要になるとさえ、いわれています。

(出典:嫌われる勇気 出版:ダイヤモンド社 
著:岸見一郎 古賀史健) (P243)

この計算に基づくと、
80歳方がアドラー心理学を学び始めた場合、
その成果が出るころには、
120歳になっている計算になります(;´Д`)
とても現実的な年齢では
ありませんね。。。
また先ほど、
「厳しい」という言葉が出てきましたが、
実際、その厳しさ故に、
本文中でもアドラー心理学を
『劇薬』と表現しています。
(嫌われる勇気P56参照)
揚げ足をとるつもりはありませんが、
劇薬ということは、使う状況を誤れば
悪影響を及ぼすことになります(-_-;)
これらを踏まえたうえで
結論を申し上げますと、
すごく理想的であるが
理想的すぎて、少々現実味にかけ、
誰にでも最高の結果を
もたらすとは限らない
といったところが
心理学研究家である私の見解です。
薬に例えると、
『すごく刺激的で良い薬ではあるが、
 万能薬ではない』
といった感じになりますね。
それでは、
なぜ悪影響を及ぼしかねないのか、
そして、なぜ
最高の結果をもたらすとは限らないのか、
詳しくお話したいと思います。
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場合によっては目的論が悪影響を及ぼす

アドラー心理学の
根源的思想には『目的論』があります。
「アドラー心理学は
 目的論なしには語れない!」
と断言できるくらいです。
(目的論を説明するには、少々の時間を必要とします。
目的論については、冒頭でご紹介した
「嫌われる勇気の内容・前編!~」の記事に
わかりやすく書いてありますので、そちらをご参照ください)
そこで、私も自分の辛い経験を
目的論に沿って考えてみることにしました。
本当に恐怖し、悲しみ、
涙を流した、とても辛い経験です。
その経験とは。。。
『白血病』です。
(なんだか重い話で、すみません汗)
2013年12月30日、
私は急性骨髄性白血病を告知され、
急遽、入院することになりました。
余命を宣告されたわけでは
ありませんが、医者からは、
「治るとは言い切れない」
と言われてしまいました。
今まで、考えもしなかった『死』
突然、目の前にやってきたのです。
私は激しく動揺し、
心から死に恐怖し、悲しみました。。。
この経験を目的論に沿って、
考えてみたいと思います。
嫌われる勇気の感想記事に使用した画像
まず、
「私は何のために悲しんでいたのか?」
を考えました。
普通であれば、「白血病だから」で
すむところではありますが、
目的論で考えると全く違います。
「悲しむ目的(利点)があるから悲しむ」
ということになります。
ではこの時、自分が悲しみ、
涙を流していた目的(利点)は何か?
。。。自分に問いかけてみましたが
なかなか答えは出ませんでした。
時間をかけて考えた末に、
至った結論が。。。
「死を拒否するため」です。
生にすがり、
死から逃げるためです。
悲しんで、恐怖しているうちは
生にしがみつくことができます。
「生きたい」と強く思うことができます。
まぁ、結局は、
「生物の本能」的な
部分の話というわけです。
では、この場合、私はどうやって
この辛い悲しみと恐怖を乗り越えれば
よかったのでしょうか?
嫌われる勇気の中では、
目的論に関するエピソードが
いくつか紹介されていますが、
その全てに共通していることが
「悪い事態」になった時、
それを受け止める勇気を持って
「行動」にでよう
ということです。
例えば、恋愛であれば
意中の相手に告白しても
振られてしまうことがあります。
この場合、
「振られた時(悪い事態)に受け止める
 勇気を持って告白(行動)しよう」
ということになります。
引きこもりの人であれば、
「外に出て傷つく(悪い事態)ことも
 あるかもしれないけど、
 それを受け止める勇気を持って
 外に出て(行動)みよう」
ということです。
これを、
私の場合に当てはめてみると、
こうゆうことになります。
『死(悪い事態)を受け入れる勇気を持って、
 治療(行動)しよう』
え。。。?
死を受け入れる?
しかも勇気をもって?
余命を宣告されたわけでもないのに?
。。。たしかに、先生からは
「治るとは言い切れない」と言われました。
しかし、
治らないとも言われていません。
治る可能性もある状態です。
その状態で、死を受け入れる
必要がはたしてあるでしょうか?
というか、そもそも、
生きたいという気持ち(本能)があるのに、
死を受け入れること自体が
かなり難しい。。。(-_-;)
当たり前ですが、
精神が病んでもいないかぎり、
もしくは人生に絶望でも
していない限り、
人は死にたくありません(>_<)
やりたいことや、
夢や希望がある状態では、
なおのことでしょう。
でも、アドラー心理学では
そんな「死にたくない」という感情を
強く噛みしめている人間に対して、
「勇気で死を受け入れろ」
というわけです。。。。
。。。
いやいやいや!
無理がありすぎます!!
ハッキリ、いいます。
それは無理です!!
もし、入院中に
誰かから目的論を説かれたとしても、
私は全く受け入れることは
できなかったでしょう。
むしろ
「え?死を受け入れなきゃいけないの?」
と、さらに困惑し、
苦悩していたはずです。
これでは
悲しみや恐怖を乗り越えるどころか、
より一層、辛さを重ねることに
なってしまいます(T_T)
もしかしたら、ストレス過多で
病状も悪化していたかもしれません。
こうなってしまうと、
もはや悪影響以外の
何物でもありませんね(-_-;)
もし、病状が進行したり、
余命を宣告されたのであれば、
時間をかけて死を受け入れ、
残りの時間を楽しむことに
意識を向けた可能性もありますが、
まだ、希望のある状態では、
死を受け入れることなど
到底できません。
仮に余命を宣告されていたとしても、
それを「勇気」で受け入れることは
まずできないでしょう。
なぜなら、心の奥底には
「生きたい」という本能があるから。
一種の「諦め」で受け入れることは
あっても、勇気でもって
受け入れることはできませんよ。
もし、勇気で死を受け入れる
可能性があるとすれば、
それは「何かを守る時」だけです。
これは、
ドラマや映画を思いだして頂けると
わかりやすいですね。
恋人、家族、あるいは自分の尊厳など、
「何かを守るために死を選ぶ」といった
シーンがあります。
これは「勇ましい死」と
言っていいかもしれません。
(この場合「受け入れる」というより
「自ら選ぶ」といった側面の方が強いかもしれませんが)
でも、それ以外の状況で
「勇気を持って死を受け入れる」
ことなど、
はたして可能でしょうか?
私は、むしろ大切な家族や恋人(今の妻)を
悲しませないために、
そして守り続けるために
死にたくありませんでした。
つまり、
すごく強い生への執着(本能)
あったことになります。
そんな状態の人間が、
目的論で考えても
良い方向に向かうことは
できないのです。
「じゃあどう考えるのがベストなの?」
なんて疑問が出てくると思いますが、
私は目的論の逆で、
死を無視することを選びました。
なぜなら、
「何が何でも死ねない」からです。
死を考えても仕方がないのです。
私は治る可能性を信じ
生きることだけに意識を向け
前向きに治療に取り組みました。
こうすることで、
入院生活も充実させることができました。
生きることが前提なので、
調子の良いときは
行動的になれたのです。
仕事をしたり、勉強をしたり、
時には遊んだり(笑)
もし、
私が死を受け入れていたのであれば、
おそらく、ここまで行動的には
なれませんでした。
だって、死を覚悟していたら、
どうしても「将来への希望」が
持ちにくくなってしまいますからね。
死を無視して
将来を信じている状態とでは、
多少なりとも意欲やモチベーションに
差が出てくるのは
当然といえるでしょう。
入院生活を比べただけでも、
どちらの考え方が
より良い状態なのかは、
語るまでもないかと思います。
(私の場合は勉強もしていたので、
退院後の知識量にも
差が出ていたと推測できます)
さらに付け加えますと、
多くの看護師さんが
「前向きな人の方が
 治療がうまくいきやすい」
とも言っていました。
私が入院していた時、
いろんな看護師さんに質問してみましたが、
皆、同じ意見でした。
程度の差こそはあれ、1人残らず
「前向きな人ほど、治療がうまくいく」
というのです。
実際、私も最初の入院の時はかなり
前向きだったので、
最短期間で退院することができました。
これは先生たちも驚くほどの
成果だったそうです。
つまりですね、
私は死を無視すること(目的論とは逆の思考)
よって、充実した入院生活を送り、
知識を増やし、
そして、最速で治療を終えるという
最高の結果を手にしたことになります。
目的論で考えれば、
いかなる場合も最高の結果や
幸せに繋がるというわけでは
ありません。
むしろ悪影響を及ぼす
事だってあり得るのです。
もちろん、勇気は大切です!
目的論で考え、
行動に出ることは人生を大きく
前進させることがあると思います。
しかし、それは
いかなる状況の人にも
適しているわけではありません。
私のように
ある一定の極限状態では、
刺激的で効果的な薬でも
毒となりえるのです。。。
この点を考慮すると、
やはりアドラー心理学は
「劇薬」という表現が
ピッタリだと思います。
どんなに素晴らしくても、
けして万能薬になりえないのが、
アドラー心理学なのです。
さて、まだまだ
お話しておきたいことがあるのですが、
キリが良いので、第1部はここまでにして、
いったん、まとめに移りたいと思います。

第1部まとめ

  • 目的論で考えれば、
    どんな人でも良い結果に繋がる
    というわけではない
  • むしろ、悪影響が出てしまう
    ことがある
  • アドラー心理学は劇薬
以上になります。
今回はほとんど
「目的論」についてのお話でしたね。
次回、第2部では、
「課題の分離」について、
触れていきたい思といます。
「課題の分離」は
とても素晴らしい思想なのですが、
実は。。。
意外な落とし穴があるのです(◎_◎;)
それでは、こうご期待ということで!
また、次回お会いしましょう(^^)/
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