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こんにちは!
心理学研究家のぼんたです。
心理学を研究し、
日々、実践しながら
幸せに生活しています。
今でこそ、
それなりに普通の生活が
できていますが、
以前、急性骨髄性白血病を患い、
長い闘病生活を送った経験があります。
白血病を告知された時、
私は死に対する恐怖と悲しみで
いっぱいでした。
この記事では
そんな絶望を乗り越えた時の体験
お話しています。
もし興味がありましたら、
最後までお付き合い頂けますと
幸いです。



目の前に現れた死

これは、忘れもしない
2013年12月30日のことです。
その日、熱と頭痛があった私は
いつもように
軽い気持ちで病院を受診しました。
体にあるアザが、
少し気になってはいましたが、
ストレスで風邪をこじらせただけだと
思い込んでいました。
受付をすませ、少し待つと
自分の診察がまわってきました。
先生に正確な症状を伝えると、
念のため血液検査を
することになりました。
そこで出た結果が。。。
白血球が6万近くあり、
(正常値はだいたい3,500~9,000くらい)
赤血球、血しょう、血小板が極端に少ない
というものでした。。。
先生に
「かなり重症です!
 すぐに血液専門の先生に
 診てもらってください!
 たぶん、入院になります。」
と言われ、
急遽、遠くの大きな病院(新潟県長岡市)
行くことになりました。
自分の車で運転していくつもり
だったのですが、それは
先生から却下されてしまいました。
むしろ救急車を用意するというのです(汗)
でも、
救急車はなんだか恥ずかしかったので、
当時の彼女(今の妻)にお願いして
長岡の病院まで送って
もらうことにしました。
その道中、私の頭の中は
すでに不安と恐怖
いっぱいでした。。。
というのも、私にはほんの少しだけ
白血病の知識があったのです。
先ほどの先生は、
病名も何も言いませんでした。

しかし、検査の数値を見て

私の脳裏には
「白血病」の三文字がクッキリと
浮かび上がっていました。
白血病の発症率の低さも
知っていましたが、
検査結果と自分の症状を考えた時に
どうしてもその可能性を
否定できないのです。
車の中で
「いや、まさか。。。
 でも。。。」
と自問自答を繰り返していましたね(~_~;)
長岡の病院に着くとすぐに
再検査がはじまりました。
少し待つと検査結果がでました。
いよいよ審判の時です。
診察室に呼ばれ、
先生の話を伺います。
先生は少し言いにくそうに
『こうゆう結果(検査)が出るとね。
 あまりいい病気では
 ないんですよね。。。』

と言いました。

この言葉を聞いた時、私の疑惑は、
ほぼ確信に変わりました。
そして、私は先生にこう聞きました。
『白血病ですか?』と。
先生は『はい』
と答えました。。。
。。。
その瞬間、
『死』という圧倒的絶望が
私の前に現れたのです。
自分でも覚悟はしていたはずです。
その可能性があることは
十分理解していたはずです。
にも関わらず、
まるでドラマのワンシーンのように
机に肘を付きながら頭を抱え込み、
『うそでしょ?俺が??』と
現実を受け入れられない
自分がいました。
しばらく
頭は混乱していましたが、
とりあえず、すぐに入院しなければ
いけないことはわかったので、
診察室を出て入院の手続きを
することになりました。
診察室を出ると、目の前に
彼女が待っていました。
私は正直に
白血病だったことを告げました。
すると
彼女は涙を流しはじめました。
私も涙を流しました。。。
二人とも深い深い
悲しみの中にいたと思います。
自分でもどうしていいかわからず、
ただただ涙を流し続けました。
でも、ずっとこうしている
わけにもいきません。
入院の手続きをして、
早く会社や家族、周りの人に
連絡をしなければなりませんでした。
なんとか涙を拭いて
彼女に声をかけ、入院の準備に
とりかかりました。
看護師さんの話を聞き、
書類にサインをして、
病室へ案内されました。
病室についてからも、
一通りの説明を受けました。
とりあえず病衣に着替え、
会社や家族に連絡したり、
骨髄検査(*)を受けたりしました。
(*骨盤に穴をあけて、中の骨髄を採取する検査です。
 これによって、白血病の病状が詳しくわかります。
 ちなみに麻酔と骨髄を採取する時に激痛が走ります。
 骨をドリルでグリグリする感覚も伝わってきます汗)
そうこうしているうちに、
母親や弟もきました。
二人に白血病であることを伝えると
母親は私に泣きついてきました。
「なんであんたが!?」と。
私はここでも切なく、
そして、申し訳ない気持ちになり、
また涙を流しました。。。
ただただ辛い、悲しい。。。
そんな気持ちが支配しています。
しばらく泣いた後、
先生から病気と治療に関する
説明を受けました。
  • 病気の正式名称は
    「急性骨髄性白血病」であること
  • これから抗がん剤治療をすること
  • そして
    「治るかどうかは、わからない」
    こと
この3つが主な先生の話でした。
治らないかもしれないのは、
私もよくわかっている
つもりでいましたが、
やはり改めて聞くと、
ショックでしたね。。。
この時点で、もう夕方というか
ほぼ夜になっていました。
母親と弟は帰宅し、
彼女も消灯時間ギリギリまで
いてくれましたが
その後、家へ帰りました。
皆が帰ると、
私は暗い病室で一人になりました。
朝からの目まぐるしい展開に
頭がついていきません。
今、白血病になっている
自分を信じることもできません。
恐怖と悲しみに覆いつくされ、
暗い天井が涙で歪みました。。。

切なさと絶望がつのる日々

夜が明け、大晦日になりました。
今日は治療のため、
鎖骨の下あたりに点滴用の管を
通すことになっていました。
まぁ簡単な手術みたいなもんですね。
部分麻酔をして、
鎖骨下からカテーテルを入れます。

(画像出典:NPO法人 日本統合医療推奨協会)
正直、かなり怖いです(-_-;)
骨髄検査も嫌ですが、
これも本当に怖いです。
何より、尋常ではないほど
肩が痛くなります。
「最強の肩こり」
といったところでしょうか。
痛すぎて、腕が動かせなくなるのです。
(痛みの出る出ないは、個人差があるそうです)
私の場合、右側の鎖骨下に管を
通したので、右肩と右腕が
ほとんど使い物にならなくなりました。
一番困ったのは食事の時です。
右腕が痛くて箸すら持てませんからね。
仕方なく、左手にスプーンを持って
食べることにしました。
しかし、スプーンとはいえ、
慣れない左手です。
大の大人がボロボロこぼしながら
食事をするしかありませでした。
なんともいえない
情けない気持ちになりましたね。。。
この時点で私は
恐怖と悲しみだけでなく、
さらに惨めさまで
感じるようになっていました。
ただただ怖い、ただただ悲しい、
痛い、切ない、辛い。。。
そして、
悪い想像ばかりしていました。
『絶望』とは、
こうゆうことをいうのでしょうね。
しかし!
ある時、そんな絶望から
抜け出す瞬間がやってきます(-_☆)キラーン


死の恐怖を乗り越える!

入院生活が始ってから数日後の朝、
私はある想像をしていました。
『自分が死ぬ時』の想像です。
(なぜそんな、想像をしたのか私にも確信はありせんが、
おそらく『死』と向き合いすぎたせいだと思います)
具体的にはこんな感じです。
息も絶え絶え、
意識はもうろうとし、
視界が霞んでいます。
医療機器が鳴り響く中、
ベッドの周りでは
数人が私を見守っていました。
左側には先生や看護師さんがいます。
ベッドの後ろ(私から見て正面)には
弟が切ない顔をしてこちらを
見ています。
視線をさらに右に移し
ベッドの横を見ると
そこには母親と彼女がいます。
二人とも目には
涙がたくさん浮かんでいます。
私には口を動かす体力も
残っておらず、
声を発することすらできません。
でも、心の中では
ひたすら『ごめん』
繰り返していました。

そして、いよいよ
意識が薄れ、
母親と彼女の泣き叫ぶ
姿が遠のいていく。。。

という瞬間!
私の中に1つの
強い感情が生まれました。
それは『こんなの嫌だ』でした!
その時、気づいたのです。
『自分は絶対に死ねない』
ということに!
どんなに悪い状況でも、
どんな劣勢であったとしても、
生きることを諦めるなどできません。
『生きる』
私は心から強くそう思いました。
そして、
私は死を無視することにしました。
だって、
生きるしかないわけですから、
死を考えても仕方ないのです(笑)
これはまさに
「死の恐怖を乗り越えた瞬間」だったと
思います。
それ以来、状況は一変します。
自分の中では
病気が治ることが前提に
なっているので、
調子の良い時は
活動的になれたのです。
仕事をしたり、勉強をしたりして
時には遊んだりしました。
それと、あらゆるものに
「感謝」できるようにもなりました。
自分がどれほど人や物、
そしてあらゆる『英知』
支えられているか気付けたのです。
(医療なんて、英知の塊のようなものですからね。
私たちが普通に使っている携帯や、
その中にあるアプリも知恵の塊です。)
これにより、
私は感謝の気持ちを持ちながら、
活動的な入院生活を
送ることができました。
その結果、最速で治療を終え、
先生達も驚くほどの成果で
退院(*1)することができました(^^)
(*1:これは最初の入院の時のお話です。
骨髄移植を受けるために,
後で別の病院に入院することになります。)
この経験は、私の人生における
『最大の試練であり、最大の収穫』
であったと思います。

おわりに

私が闘病中に経験したことや
感じたことは他にも
たくさんあります。
まだまだ、お伝えしたいたことは
山ほどありますが、
まぁちょっとキリがないので、
今回はこれくらいに
しておこうかと思います(苦笑)
ちなみに、私は
「白血病になってよかった」
と思っています。
そりゃ病気にならないですむなら、
それにこしたことはありません。
でも、
この辛い経験があるこそ、
今の自分があるわけですからね。
本当に辛い経験ではありましたが、
その分、
『得るもの』も大きかったのです☆
今、ある命を大切に。。。
そして、
あらゆるものに感謝して、
私は今日を
生きていきたいと思います(*^_^*)
それでは、このへんで。。。
最後までありがとうございました(^_^)/



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